【推理実験】体温を避けたい男
会社のトイレで毎回起きる、小さな推理事件
「あっ、すみません」
休憩時間、トイレに入ろうとすると、一人の作業員とすれ違った。
会社のトイレ。
ここで私は、重要な選択を迫られる。
さっきすれ違った作業員は、はたしてどのスリッパを履いていたのか。
私には、すごく重要なことだ。
なぜなら、私は人の体温を感じるのが無性に苦手だからだ。
心温まる話は好きだ。
でも、人のぬくもりに直接触れるのは昔から苦手なのである。
私だけだろうか。
うまく表現できないが、その人の何かが私に溶け込んでくるというか、その人の一部が自分の中へ入り込んでくるような気がしてしまう。
しばらく、じっとスリッパを見つめる。
紺色のよくあるトイレ用スリッパが三つ。
真ん中は、少しだけへこんでいる気がする。
これか。
ジョーカーは。
左を見る。
少し水滴がついている。
……。
まさかな。
右を見る。
へこみもない。
水滴も見当たらない。
これで決まりだ。
私は意を決して、右側のスリッパに足を入れた。
……。
うん。
はずれ。
スリッパ全体から、生ぬるい体温が足を包み込んだ。
私の推理は、見事に外れた。
さっきすれ違ったおじさんの顔が頭に浮かぶ。
すれ違ってしばらく経つのに、まだこの温度だ。
よほど一生懸命働いていたのだろう。
用を足しながら、そんなことを思った。
そして思考は、再び推理へ戻る。
なぜ外した。
真ん中のへこみは、ただの経年劣化だったのか。
左のスリッパをもう一度よく見る。
……しまった。
見逃していた。
水滴は外側ではなく、中にもついていた。
中に水滴が残っているということは、まだ誰にも履かれていない証拠だ。
私は外側ばかり見ていた。
事件は最初から、現場に答えを残していたのだ。
私の観察眼は、まだまだだった。
次こそは、おじさんではなく、スリッパを当てたい。
たぶん明日も、私はトイレで同じ推理をしている。
そして世の中には、こんなふうに人には説明しづらい「自分だけの感覚」が、案外たくさんあるのかもしれない。
暮らしの中には、解決しなくても面白い謎があります。
今日もそんな小さな実験を続けています。
たまに、子育て以外の出来事も書いています。
映画のオーディションに参加した話も、そんな物語の一つです。






めちゃめちゃ面白いですね!そして私もやってました(笑)
ピートンさん、こんばんは⭐️
推理している情景が浮かび、思わずクスッとなります。
スリッパのあのなんとも言えない温もり、私も苦手です。
ピートンさんのように推理してみると、外してみると楽しく乗り越えれそうな気がします☺️